[撮影場所]
指宿海軍航空基地跡/指宿市(地図)
[使用機材]
PENTAX K100D / SIGMA AF18-200mmF3.5-6.3DC
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[参考リンク]
神風特別攻撃隊/指宿基地
その他鹿児島の戦争関連施設
いぶすき☆観光☆ネット ~ 指宿市観光協会 ~ – 指宿観光ガイド-哀惜の碑
[感想]
国民休暇村の横にあるのが「指宿海軍航空基地跡」です。目印があるのですぐに解ります。駐車場並びにトイレは、国民休暇村の向かいの場所を利用できます(国民休暇村の駐車場を使うよう看板が出ています)。場所的には「知林ヶ島」の近くで、干潮時は砂州が出来、歩いてわたることが出来ます。が、2007年7月14日の台風襲来により、砂州が流され本年の渡島は事実上不可能となっています。なお、「砂州の情報は指宿市のホームページ」の方に掲載されています。
戦争末期に、特攻基地として機能したのがこの「指宿海軍航空基地跡」です。知覧特攻基地・万世飛行場・指宿海軍航空基地と、主だった特攻基地を有するこの南薩地方。出撃した隊員は82人。特攻戦没者、訓練による殉職者、空襲等による一般戦死者を含めて192人の方がなくなられています。現在は、慰霊碑の下に防空壕(コンクリート壕、立入不可)が残っているだけのようです。
指宿海軍航空基地は、水上機の基地として、S19/1/1開隊、第453海軍航空隊の基地となり、同年12/15第951海軍航空隊に統合され、同隊指宿派遣隊となりました。索敵訓練および対潜哨戒・船団護衛等の任務に従事していました。特攻機と基地で活躍した水上機は、零式水上偵察機、零式観測機、94式水上偵察機、二式大型飛行艇(資料「指宿海軍航空基地を偲びて」より)。
指宿海軍航空基地哀悼の碑 碑文
君は信じてくれるだろうか
この明るい穏やかな田良浜が
かつて太平洋戦の末期 本土最南端の航空基地として
琉球孤の米艦隊に対決した日々のことを
拙劣の下駄ばき水上機に 爆弾と片道燃料を積み
見送る人とてないこの海から 萬感をこめて飛び立ち
遂に還らなかった若き特別攻撃隊員が
八十二人にも達したことを
併せて敵機迎撃によって果てた 百有余人の基地隊員との鎮魂を祈って
ここに碑を捧ぐ
慰霊碑の横には昭和53年6月3日に枕崎沖合(水深400m)で発見されたプロペラ(と思う物)が鎮座しています。
写真にあるパンフレットは記帳所の中に置いてある物です。記帳は遠慮してきました。よくよく考えると無防備に住所・氏名を書かせる記帳という行為も考え物なのかも知れません。